飛騨の歴史を纏め、平安時代の天暦年間に書かれた『飛州志(ひしゅうし)』は「天暦年中この地の山中に、はじめて温泉湧出せり。地名を湯ガ峰という」という記載があることで、下呂温泉の誕生です。下呂温泉は1000年以上の歴史を持つとされています。
徳川家康以下4代の将軍に仕えた儒学者・林羅山が「我が国には多くの温泉があるが、最も著名なのが、有馬、草津、湯島(下呂)である。有馬、草津は広く世の知るところだが、湯島は古来の霊湯なことを知る者は少ない。だが入湯者はその験を得ざることなし」と書き残したことによって、下呂温泉は、草津、有馬と並ぶ「日本三大名湯」となりました。尚、室町時代の僧・万里集九が、詩文『梅花無尽蔵』に優れた温泉地として「湯島(下呂)、草津、有馬」で既に書き残したこともあります。
▲湯の島 大正末期
大正末期の下呂温泉は
益田街道沿いに宿場町となっていた。
▲湯の島 昭和15年頃
「下呂」の名前は昭和以降に使われ始めた名称。
それ以前は「湯之島」と呼ばれていた。
▲湯の島 昭和55年頃
発展し続けている下呂は
旅館が林立ようになってきた。
▲下呂温泉街 昭和
下呂は、古くは下留(げる)といい、
通称化され「げろ」と発音されるようになった。
▲白鷺の湯 1926年
1926年に落成した
これは当時の写真
▲白鷺の湯 1930年
外観が印象的な公衆浴場
当時も今も大人気である。
▲白鷺の湯 湯船
髪型をセットしたまま
芸子さんの入浴風景
▲湯番の下札 江戸時代
湯番とは、湯を沸かし、湯加減をみたり、
上がり湯をくんだりすることや人であること。
▲下呂の噴水池
飛騨川沿いにある天然噴水池
ご用意。お飲み物もご用意致します。
▲噴水池 昭和初期
開放感抜群
男女共同の露天風呂
▲汲み湯
明治から昭和初頭までは源泉から
湯を汲み上げて宿屋で沸かしていた。